たたった一つの道具は、衣装《いしょう》戸だなであった。けれどなんという戸だなだろう。寝台《ねだい》とふとんとまくらと毛布《もうふ》とがその下から出て来た。そして寝台についた引き出しには、はけ[#「はけ」に傍点]やくし[#「くし」に傍点]やいろいろなものがはいっていた。いすやテーブルというようなものも少なくともふつうの形をしたものはなかったが、かべに板がぴったりついている、それを引き出すと四角なテーブルといすになった。この小さな寝台《ねだい》にねむることをどんなにわたしは喜《よろこ》んだであろう。生まれて初《はじ》めてわたしはやわらかいしき物をはだに当てた。バルブレンのおっかあのうちのはひじょうに固《かた》くって、いつもあらくほおをこすった。ヴィタリス老人《ろうじん》とわたしはたいていしき物なしでねむった。木賃宿《きちんやど》にあるものは、みんなバルブレンのおっかあのうちのと同様にごりごりしていた。
わたしはあくる朝早く起きた。一座《いちざ》の連中《れんじゅう》が一晩《ひとばん》どんなふうに過《す》ごしたか知りたかったからである。
見るとかれらはみんなまえの晩《ばん》入れてやった所にいて、このきれいな小舟《こぶね》はもう何か月もかれらの家であったかのようによくねいっていた。犬たちはわたしが近づくとはね起きたが、ジョリクールは片目《かため》を開いているくせに動かなかった。かえってラッパのような大いびきをかき始めた。
わたしはすぐにそのわけをさとった。ジョリクールはたいへんおこりっぽかった。かれは一度|腹《はら》を立てると、長いあいだむくれていた。いまの場合は、ゆうべわたしがかれを船室に連《つ》れて行かなかったのをおもしろく思わなかったので、わざとふてねをして、ふきげんを示《しめ》していたのであった。
わたしはなぜかれを甲板《かんぱん》の上に置《お》いて行かなければならなかったか、そのわけを説明《せつめい》することができなかった。それで少なくとも外見だけでも、わたしはかれにすまなかったと感じているふうを見せるために、かれをうでにだいて、なでたりさすったりしてやった。
初《はじ》めはかれもむくれたままでいたが、まもなく、気が変《か》わりやすい性質《せいしつ》だけに、なにかほかのことに考えが移《うつ》って、手まねで、よし、外へ散歩《さんぽ》に連《つ》れて行くなら、か
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