ょく》行くえは知れなかった。そうなるとあとつぎの子どもがないので、この人がにいさんの財産《ざいさん》を相続《そうぞく》するつもりでいた。
 ところがやはり、ジェイムズ・ミリガン氏《し》は、にいさんからなにも相続することができなかった。なぜというに、夫人《ふじん》の夫《おっと》の死後七か月目に、夫人の二番目のむすこのアーサが生まれたのであった。
 けれどもお医者たちはこの病身な、ひよわな子どもの育つ見こみはないと言った。かれはいつ死ぬかもしれなかった。その子が死んだ場合には、ジェイムズ・ミリガン氏《し》は財産《ざいさん》を相続《そうぞく》することになるであろう。
 そう思ってかれはあてにして待っていた。
 けれども医者の予言《よげん》はなかなか実現《じつげん》されなかった。アーサはなかなか死ななかった。もう二十度も追っかけ追っかけ、なんぎな病《やまい》という病にかかって、それでも生きていた。そのたんびにこの子を生かしたものは母親の看護《かんご》の力であった。
 最後《さいご》の病は腰疾《ようしつ》(こしの病気)であった。それにはしじゅう板にねかしておくがいいというので、板の上にからだを結《ゆわ》えつけて動けないようにした。けれどそれをそのままうちの中に閉じこめておけば、今度は気鬱《きうつ》と空気の悪いために死ぬかもしれない。
 そこでかの女は子どものためにきれいな、ういて動く家をこしらえてやって、フランスの国じゅうのいろいろな川を旅行しているのであった。その両岸の景色《けしき》は、病人の子どもがねながら、ただ目を開いていさえすれば、目の前に動いて行くのであった。
 もちろんこのイギリスの貴婦人《きふじん》とむすこについて、わたしはこれだけのことを残《のこ》らず、初《はじ》めての日に聞《き》いたのではなかった。わたしはときどきかの女といるあいだに少しずつ細かい話を聞いた。
 わたしが初めの日に聞いたことは、ただこの船の名が白鳥号ということ、それからわたしが部屋《へや》と定められた船室がどんなものであるかということだけであった。
 わたしは高さ七|尺《しゃく》(約二メートル)、はば三、四尺(約〇・九〜一・二メートル)のかわいらしい船室を一つ当てがわれた。それはなんというふしぎな部屋《へや》におもわれたであろう。部屋のどこにもしみ一つついていなかった。
 その船室に備えつけ
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