ました。ベッキイはせっせと茶釜を磨きながら、口の中で何かを口ずさんでいました。
「お嬢さん、眼がさめたらあってよ、毛布が。昨夜の通りよ。」
「私のもよ。私着物を着ながら、食べ残した冷いものを食べて来たわ。」
「そう、いいわね。」
 そこへ料理番が入って来たので、ベッキイはまた茶釜の上に、顔を俯向《うつむ》けてしまいました。
 教室ではミンチン先生が、やはりセエラはどんな顔をして出て来るだろうと、待ちかまえていました。さすがのセエラも、今日はしょげて出て来るだろうと思っていました。が、不思議やセエラは血色のいい顔に微笑を湛え、踊るような足どりで入って来ました。ミンチン女史の驚きといったらありませんでした。
「お前には、自分が恥しい目にあってるのが、判らないのかい?」
「すみません。私、それはよく知っております。」
「そんなら、その気で、そんな、何かいい事でもあったような顔をするものではない。生意気だよ。それから、今日は一日何にも食べられないのだということを、忘れないがいいよ。」
「はい、忘れません。」
 いいながらセエラは、魔法のおかげがなかったら、今頃はさぞひもじかったろうに、と思いました。
「セエラは、大してひもじそうじゃアないわね。」と、ラヴィニアは囁きました。「まるで、朝飯に何かおいしいものでも食べて来たような顔をしているわ。」
「あの子は、普通の人達とは違ってるのよ。」とジェッシイは、フランス語を教えているセエラの方を見ながらいいました。「私、時々セエラが怖くなるわ。」
「莫迦ね。」
 セエラはいろいろ考えた末、昨夜起ったことは、誰にもいうまいと決心しました。ミンチン先生が屋根裏に上って来ればおしまいですが、ここしばらくは大丈夫だろうと思いました。アアミンガアドやロッティは、見張りがきびしいから、当分忍んで来るわけにもいかないでしょう。それに魔法の神様も、きっとこの奇蹟を隠して下さるでしょう。
「どんなことが起ろうと、私には目に見えないお友達があるのだからいいわ。」
 その日は、前日よりもお天気が悪い上、セエラは昨夜のことがあるので、よけい辛くあたられました。が、セエラはもう何にも怖いとは思いませんでした。夕方までには多少おなかも空いて来ましたが、セエラは今にまた御馳走が食べられるのだと思っていました。
 夜更けて、一人自分の部屋の前に立った時、セエラの胸はさすがにどきどきしました。
「ことによると、もうすっかり片付けられてしまったかもしれないわ。昨夜だけちょっと私に貸してくれたものなのかもしれないわ。でも、借りたのは事実だったのだわ。夢でもなんでもなかったのだわ。」
 セエラは部屋に入ると、すぐ戸を閉め、それに背をもたせて、隅々を見廻しました。魔法の神は、留守の間にまたここを見舞ったと見えます。昨夜なかったものまでが持ちこまれてありました。低い食卓の上には、またしても御飯の支度がしてありました。しかも、今日はコップも、お皿も皆二人前そろえてあるのです。炉の上の棚には、目のさめるような刺繍をした布《きれ》が敷いてあり、二三の置物が飾ってありました。醜いものは、すべて垂帷《とばり》で隠してありました。美しい扇や壁掛が、鋭い鋲で壁にとめてありました。木の箱には敷物が掛けてあり、その上には、いくつかの座褥《クッション》が乗っていて、寝椅子の形に出来ていました。
「まるで、何かお伽噺にあることみたいだわ。何でも、欲しいといえば出て来るような気がするわ。ダイヤモンドでも、黄金《こがね》の袋でも、お伽噺よりも不思議なくらいだわ。これが、昨日までの屋根裏部屋なのかしら? 私も、あの凍えた、汚いセエラだとは思えないくらいだわ。私はいつもお伽噺がほんとになるのを見とどけたいと思っていたのよ。ところが、今私はお伽噺の中に住んでるんだわ。私自身も妖女《フェアリー》になったような気がするわ。そして、何でも変えることが出来るような気がするわ。」
 セエラは壁を打って、隣の囚人を呼び出しました。ベッキイは、今夜は自分の紅茶茶碗でお茶をいただきました。
 セエラは寝《しん》に就く時、また新しい厚い敷蒲団と、大きな羽根枕のあるのを見つけました。昨夜のは、いつの間にかベッキイの寝床に移されていたのでした。
「ぜんたいどこから来るんでしょう? お嬢さん、ほんとに誰がするんでしょう?」
「訊くのはよしましょうよ。私、知らないでいた方がいいと思うわ。でも、その誰かに、『ありがとう!』とだけはいいたいわね。」
 その時以来、世の中はだんだん愉快になって来ました。お伽噺はうち続きました。たいてい毎日、何かしら新しいことが起りました。夜、セエラが戸を開けるごとに、室内には何か新しい装飾が施され、何か少しずつ居心地よくなっているのでした。そうこうするうち、屋根裏部屋は、いろいろの珍らしい贅沢なものの一杯ある美しい部屋になってしまいました。朝出て行く時には、前の晩の食べ残しが置いてあるのに、夜帰って来てみると、食べ残しは綺麗に片付けられ、また別な美味が置き並べられてあるのでした。
 セエラはこうした幸福と慰めとのため、だんだん健康になり、希望に充ちて来ました。相変らず皆からはひどく扱われましたが、どんな時にも、屋根裏に帰りさえすればと思うと、辛いとも思いませんでした。
「セエラ・クルウは、大変丈夫そうになったじゃアないか。」と、ミンチン先生は不服そうに妹にいいました。
「ほんとに、だんだん肥って来たようですね。まるで餓えた烏みたいになりかけていたのに。」
「餓えただって? 食べたいだけ食べさしてあるのに、餓えるはずはないじゃないか。」
 アメリア嬢は、へまな口を辷《すべ》らしたと思って、おどおどと、
「そ、そりゃアそうですけど。」と、合槌《あいづち》をうちました。
「あの子の年で、あんな風なのは、不愉快だよ。」
「あんな風なって?」
「いわば反抗心とでもいうんだろうね。たいていの子供は、あんな境遇の変化に逢ったら、意地も元気もなくなっちまうはずなのに、あの子はまるで、まだ宮様《プリンセス》かなんぞのように、しゃんとしているんったもの。」
「姉様、憶えていらしって? あの、いつかセエラが教室でこういった時のことを。先生はどうなさるでしょう、もし私が――」
「そんなこと憶えちゃアいないよ。つまらないことはいうものじゃない。」
 争われないもので、ベッキイも近頃はむくむく肥り出し、何か落ちつきが出て来ました。肥るまいと思っても肥り出し、怯えようとしても怯えられなくなったのだから仕方ありません。彼女もやはり、誰も知らないあのお伽噺のおかげを蒙《こうむ》っていたからでした。今は彼女も、敷蒲団は二枚あるし、枕も二つ持っています。毎晩温かな御飯を食べ、火の燃えている炉のそばに坐ることが出来るのでした。バスティユの牢獄はいつか消え去り、囚人は影も見えなくなりました。その代りに二人の幸せな子供が、よろこびにひたっているばかりでした。時とすると、セエラは書物を取り上げ、声を出して読んだりしました。時とするとまた、じっと炉の火を見詰め、あのお友達は誰だろう、どうかして自分の胸に感じていることを、その人に伝える術はないものだろうか、などと思いに耽りました。
 すると、また素敵な事件が起きて来ました。ある日一人の男が玄関に来て、いくつかの小包を置いて行きました。その宛名は、『右手屋根裏部屋の少女へ』とだけ大きく書いてあるのでした。
 小包を取りにやられたのは、ほかならぬセエラでした。彼女が一番大きい包みを二つ、客間のテエブルの上に置いて、宛名を眺めていますと、そこへミンチン先生が入って来ました。
「宛名のお嬢さんのところへさっさと持っておいで。そんな所に立ってじろじろ見てるんじゃアないよ。」
「でも、これは私のです。」と、セエラは静かにいいました。
「お前のだって? 何をいってるんだよ。」
「どこから来たのだか存じませんけど、宛名は私なんでございます。私の眠るのは右手の屋根裏です。ベッキイは左ですから。」
 ミンチン女史は、セエラのそばへやって来て、昂奮した顔つきで小包を眺めました。
「何が入ってるんだい?」
「存じません。」
「開けてごらん。」
 セエラはいわれた通りにしました。中から出て来たのは、着心地のよさそうな美しい衣裳でした。靴、靴下、手套《てぶくろ》、美しい上衣、それから見事な帽子、雨傘――すべて、上等な高価な品ばかりでした。その上、上衣のポケットには、こんなことを書いた紙片《かみぎれ》が、ピンで留めてありました。
「平常《ふだん》にお着なさい。換える必要があったら、いつでも換えて上げます。」
 それを見ると、ミンチン女史は卑しい心の中に、何か不思議なことがあるなとさとりました。あるいは自分は思いちがいをしていたのかもしれない。この孤児《みなしご》の背後《うしろ》には、誰か変りものの、しかし勢力のある友人があったのかもしれない。あるいは誰か今まで知られていなかった親戚があって、ふとセエラの居所をつきとめた上、こんな妙な方法で彼女の世話をしはじめたのかもしれない。親戚にはよく変人があるものです。殊に年とった、金持で独身《ひとりみ》の伯父などというものは、子供をそばに置くことをいやがって、遠くの方から、その子の様子を見守っていたりするものです。またそんな伯父はきまって癇癪持《かんしゃくもち》で、怒りっぽいものです。だから、もしそんな人がいて、セエラのひどい様子を見たら、いい気持のするはずはありません。ミンチン女史は、妙に不安な気持になりました。で、彼女はセエラを横目でちらと見て、セエラの父が亡くなって以来使ったことのない、やさしい声でいいました。
「きっとどなたか御親切な方があるのですよ。こんなものをいただいたのだから、それに痛めば新しいのと換えて下さるというのだから、それに着かえて、きちんとしているようになさい。着かえたら教室に来て、自分の勉強をなさい。今日はもうどこへも使に行かないでいいから。」
 着がえをすまして、セエラが教室に入って行くと、生徒達は驚きのあまり声も出ませんでした。
「まア驚いた。」とジェッシイはラヴィニアの肱をつっつきながら、頓狂な声でいいました。「すっかりプリンセス・セエラになり戻っちゃったじゃアないの。」
 ラヴィニアは真紅《まっか》になりました。
 ジェッシイのいった通り、今入ってきたセエラは、プリンセス・セエラでした。少くとも、セエラはプリンセス時代以来、今日のように身綺麗にしていたことはありませんでした。彼女は二三時間前までのセエラとは似ても似つかぬ服装《なり》をしていました。
「きっと誰かが、あの子に財産を残したのね。」と、ジェッシイは囁きました。「私、いつでもあの子には何かしら起ると思ってたわ。」
「きっと、ダイヤモンド鉱山でも、また出て来たんでしょうよ。」とラヴィニアは、とげとげしくいいました。「そんな眼で見ると、あの子がいい気になるからおよしなさいよ。莫迦ね。」
 ふいに、ミンチン先生が太い声でいいました。
「セエラさん、ここへ来てお坐んなさい。」
 で、セエラは昔坐っていた名誉の席につき、俯向いて本を読み始めました。
 セエラはその夜、部屋に帰って、ベッキイと夕飯をすますと、永いこと炉の火を見詰めて黙っていました。
「お嬢さん、何かお話を作ってらっしゃるの?」
「いいえ、私、どうすればいいのだろうと考えているの。私あの方のことを考えずにはいられないのよ。でも、あの方は何にも知られたくないのかもしれないでしょう。そんなら、あの方がどんな方だか探り出したりしちゃア、失礼になるでしょう。でも私、どんなにあの方をありがたく思ってるか――どんなに幸福《しあわせ》にしていただけたか、ということを、あの方に申し上げたくてならないの。親切な人ってものは、お礼はいわれたくなくても、幸福《しあわせ》になったかどうかは、知りたいものよ。私、私、ほんとに――」
 いいかけてセエラは、ふとテエブルの上の文房具箱に眼をとめました。紙や、封筒や、インクや
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