ン屋の店へ入って行きました。店の中は温かで、おいしそうな匂がしていました。おかみさんは、ちょうどまた出来たての甘パンを窓に入れかけているところでした。
「ちょっとお伺いしますけれど、あなたはあの、十銭銀貨をお落しになりませんでしたか?」
いいながらセエラは、たった一つの銀貨をおかみさんの方にさし出しました。おかみさんは銀貨を眺め、それからセエラの顔を眺めました。ずいぶん汚れた着物を着ているけれど、買った時にはなかなかよいものだったにちがいない、と思いました。
「どう致しまして、私落しはしませんよ、お拾いなすったの?」
「ええ、溝の中に落ちてたの。」
「じゃア、遣ったってかまわないでしょう。一週間ぐらい溝の中に転がってたのかもしれませんからね。誰が落したか、判るものですか。」
「私もそう思ったのですけれども、一応お訊ねした方がよくはないかと思って。」
「珍しい方ね。」
おかみさんは人のいい顔に、困ったような、同時に、何か心を惹かれたような表情を浮べました。そして、セエラがちらと甘パンの方を見たのを知ると、
「何かさしあげましょうか。」といいました。
「あの甘パンを四つ下さいな。」
おかみさんは、窓から甘パンを出して袋に入れました、六つ入れたのを見て、セエラは
「あの、四つでいいんですよ。私、十銭しか持ってないんですから。」といいました。
「二つはおまけですよ。あとでまた上るといいわ、あなたお腹がすいてるんでしょう。」
「ええ、とてもひもじいの、御親切にして下すって、ありがとうございます。」
セエラは、外には自分よりも、ひもじい子がいるのだということを、口に出しかけましたが、あいにくそこへお客が二三人一度に入って来ましたので、とうとうそれはいわずにしまいました。
乞食娘は、入口の階段の隅にちぢこまっていました。びしょびしょな襤褸《ぼろ》にくるまった彼女は、気味悪いばかりでした。彼女は、じっと目の前を見つめ、苦痛のあまりぽかんとした顔をしていました。ふいに涙が湧き上って来たので、彼女はびっくりして、ひびだらけの黒い手の甲で眼を擦りました。何か独言をいっているようでした。
セエラは、袋をあけて、甘パンを一つ取り出しました。セエラの手は熱いパンのおかげで、もう少し温かくなっていました。
「ほら、これは温かでおいしいのよ。食べてごらんなさい。少しはひもじくなくなるから。」
乞食娘は、思いがけないよろこびにかえって怯えたらしく、セエラの顔を穴のあくほど見ていましたが、じきひったくるようにパンを取ると、夢中で口の中につめこみました。
「ああおいしい、ああおいしい。ああ、おいしい。」
嗄《しゃ》がれた娘の声は、聞くに忍びないようでした。セエラは甘パンをあと三つ娘にやりました。
「この子は、私よりもひもじいのだわ。この子は餓死《うえじに》しそうなのだわ。」四つ目のパンを渡す時、セエラの手はわなないていました。「でも、私は餓死《うえじに》するほどじゃアないわ。」そういって、セエラは五つ目のパンを下に置きました。
餓えきったロンドンの野恋娘《のこいむすめ》が、夢中でパンをひったくり、貪り食っているのを見棄てて、セエラは「さようなら。」といいましたが、娘は食べるのに夢中でしたから、礼儀を弁《わきま》えていたにしたとこで、セエラに一言《いちごん》お礼をいう暇もなかったに違いありません。まして彼女は、礼儀などというものは、少しも知らぬ野獣に過ぎなかったのでした。
セエラは車道を横切って、向う傍《がわ》の歩道に辿りついた時、もう一度娘の方をふりかえって見ました。娘はまだ食べるのに夢中でしたが、かじりかけてふとセエラの方を見て、ちょっと頭を下げました。娘はそうしてセエラが見えなくなるまで、かじりかけのパンをかみきりもせず、じっとセエラを見守っていました。
ちょうどその時、パン屋のおかみさんが窓から外を覗きました。
「おや、こんな事ってないわ。あの娘はくれともいわないのに、この乞食にパンをやってしまったんだね。しかも、自分は食べたくないどころか、あんなにひもじそうな顔をしていたのに。」
おかみさんは窓の奥でちょっと考えていましたが、何でも、様子を訊いてみたくなったので、乞食娘のいる方へ出て行きました。
「そのパンは、誰にもらったの?」
娘はセエラの行った方に頭を向けて、こっくりしました。
「あの子は、何といったの?」
「ひもじいかって。」
「で、何と答えたの?」
「その通りだといったの。」
「すると、あの子はパンを買って、お前にくれたのだね。」
娘はまたこっくりをしました。
「で、いくつくれたの?」
「五つ。」
おかみさんは考えこんで、小声にいいました。
「自分のためには一つしか残しておかなかったのだよ。食べようと思えば、一人で六つ
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