残らず食べてしまえるくらい、お腹がすいてたのにね。」
おかみさんは、向うの方に消えて行くセエラの小さな後姿を見送りながら、いつになく心の乱れるのを覚えました。
「もっとゆっくりしていてくれればよかったのにねえ。あの子に十二も上げておけばよかった。」それから、乞食娘の方にいいました。
「お前、まだひもじいの?」
「ひもじくない時なんてありゃアしない。でも、いつもみたいに、ひどくひもじかアないわ。」
「こっちへ、お出で。」
おかみさんはそういって、店の戸を開きました。そして、奥の暖炉を指していいました。
「さア温まるといいわ。いいかい、これから一かけのパンも得られない時には、ここへ来て、下さいというのだよ。あの娘のために、私はいつでも、お前にパンを上げるから。」
* * *
* * *
セエラは残った一つの甘パンで、どうやら自分を慰めることが出来ました。とにかく、それは熱かったし、ないよりはましでした。セエラは歩きながら、小さくちぎって、小《すこ》しずつゆっくりと食べました。
「このパンが、魔法のパンで、一口食べると、お午飯《ひる》を食べたぐらいお腹がふくれるといいな。そうすると、これだけ皆食べたら、食べ過ぎてお腹がはちきれそうになるはずだわ。」
日はもう暮れかけていましたが、大屋敷の窓にはまだ鎧戸《よろいど》が下してありませんでしたので、内部《なか》の様子をちらと覗くことが出来ました。いつもは、父親が椅子に坐って、子供達に取りまかれているのでしたが、今日は旅にでも出るらしく、母親や子供達とお別れの接吻をしていました。
玄関の戸が開いたので、セエラはいつかお金をもらった時の事を思い出し、見つからぬ先に逃げ去ろうとしました。が、こんな話は聞き洩しませんでした。
「モスコウは、雪で包まれてるでしょうね。どこも、かしこも、氷ばかりなのでしょうね?」というのはジャネットの声でした。
「お父様、露西亜馬車《ドロスキイ》にお乗りになる?」もう一人の娘はいいました。「皇帝《ツアル》にもお会いになる?」
「そんなことは手紙で知らせるよ。農民《ムジイク》やなんかの絵端書《えはがき》も送ってやろう。さ、もう家《うち》にお入り。いやにじめじめしているね。お父さんは、モスコウなんかへ行くのはやめて、皆と家《うち》にいたいんだけどな。」
彼は、それから「おやすみ」をいって、馬車へ飛び乗りました。
「お父様、その娘にあったら、よろしくいって下さいね。」
ギイ・クラアレンスは、靴脱のところで跳ねまわりながらいいました。
戸を閉めて、室内《へや》に戻る道々、ジャネットは、ノラにいいました。
「あの『乞食じゃアない小さな女の子』が通って行ったのを見た? ずぶぬれで、寒そうな顔していたわ。あの子は振り返って、肩の上から私達の方を見ていたわ。お母さんのお話だと、あの子の着物は誰か大変お金持の人からもらったもののようですって――きっと、もういたんで着られなくなったから、あの子にやったのね。」
セエラは街を横切って、ミンチン先生の地下室に入って行きました。ぞくぞくして、倒れそうでした。
「ギイ・クラアレンスのいったその娘というのは、誰なのかしら?」
十四 メルチセデクの見聞記
ちょうどこの日の午後、セエラが使に出ている留守に、屋根裏部屋には奇妙なことが起りました。それを見聞《みきき》したのはメルチセデクだけでした。彼はセエラの出た後へ、何か嗅ぎ出しに出かけて来ていたのでしたが、やっと一つパン屑を見付け出したとたん、屋根の上で何かがたがたというのを耳にしました。物音はだんだん天窓に近づいたと思うと、不思議や天窓は押し開かれ、黒い顔が一つ、そこから部屋の中を覗きました。続いてまた別な顔が、その背後《うしろ》に現れました。黒い顔はラム・ダスで、もう一人は印度の紳士の秘書役だったのですが、メルチセデクにはそんなことは判るはずもありませんので、黒い顔の男がかた[#「かた」に傍点]とも音を立てずに、軽々と窓口から下りて来るのを見ると、尻尾をまいて、自分の穴へ逃げ帰ってしまいました。彼は穴の口に平たく坐り、眼をお皿のようにして、様子を見ていました。
若い秘書役はラム・ダスと同様、音も立てずに天窓から辷《すべ》りこんで来ました。彼はメルチセデクの尻尾をひっこめるところを、ちらと見て、小声でラム・ダスに訊きました。
「ありゃア鼠かい?」
「はい、鼠でございますよ。壁の中にどっさりおります。」
「へエ、あの子が怖がらないなんて不思議だね。」
ラム・ダスはそれを聞くと、手を上げてちょっと様子をつくり、慎ましやかにほほえみました。彼はまだ一度しかセエラと
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