牛肉の配達夫へ、いきなり声を掛ける事が出来た。
「お前は、自分の配達してるものが喰いたくはないかい?」と彼は対手の肩をたたいた。
配達夫も亦、この行為をいぶからなかった。尤もそれが彼等の礼儀なのである。
「喰いたくもなるさ。けれど、私の厭に思うのは、自分の飢えている事じゃないよ。自分が何かを人に与え得ぬ事だ。」と配達夫は答えると、黒い表紙の書物で、青年の肩を打ち返した。その書物は聖書だったのである。(その頃は未だ下層者の間に多くのクリスチャンが居た。)[#「(」「)」は、「(」「)」が二つ重なったもの]
「ウム、そんな事もあるな。たしかにある。私の知っている貧乏な雇人は、ある大尽の家の子に、一銭を握らせて、大きな声を出し乍ら飛んで帰って来た事がある。奴は善い行いをしたのか……それとも復讐をしたのか……自分でも判らないのだ。唯、俺は与えたぞ、与えたぞと叫び乍ら、地面へ、へたばって了やがった。」と青年は厭な表情をして答えるのであった。
と思うと、青年は全く未知な他の労働者に肩を打たれる事がある。
「ヤイ、何をボンヤリしてるんだ。貴様、自分で立っているのか? それともそこに落っこちてやが
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