、何とも云えない喜びである。」
我々は思い出す。自動車に乗った、さっきの母子は、唯街路の一角を通ったに過ぎなかった。けれども、その影は運転手の手紙と共に、田舎へ走り、老いた農民のもとに居り、転んで起きられぬ子供のそば近く歩み、鳩の巣のほとりに、思い深くもたたずんだのである。至極あたり前の深切、一寸した思いやりも、それが命を持って居る故に、水の輪のように、動いて他の方へ行くのは面白い事である。
(おわり)
読者は倦怠したであろうか? 振り返って云うが、私の小品というのは以上の如きもので代表されるのであった。それは簡単で、従って未熟であろうか? 私が教員時代に学童へ向って熱心に話した訓話の痕跡が取り切れて居ないと、読者は叱責するであろうか。
それは何うでも好い。話は実に之からなのである。
機縁とは何であるか? 何処が初まりで、何処が終りなのであろうか。私には何も分らないが、或る雨の日に、ある濡れた青年が、私を訪ねて来たのは確かな事実である。
彼は幾分か私を尊敬する風であったが、そうかと云って彼自身の傲慢を強いて隠す程でもなかった。彼は概して陰鬱であり、時に不思議な嘲りに似た笑い
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