真面目に生きていると信じ乍ら、然もやっている事が皆遊戯なのを知らぬ人間である。例えば、彼は蟻を夢中で見詰める。その夢中な有様は少し狂気を交えている。何も知らない蟻の方では、力一杯に腐った蛙の子を運んでいる。
「おお、何て一生懸命、可愛がってやらねば……」彼は涙ぐんで、蛙の腐肉を蟻の穴へと手伝って運んでやる。けれど、若し、街頭で子を背負い乍ら車の後押しをしている人間の女を見るならば、彼は眉をひそめて、態と眼を閉じて了う。「耐らない、汚い。」のである。彼は病気で歩けない雨蛙は好きであるが、本当の病人――私――なぞをあまり好かない。「此の蛙、風邪引いている。お湯飲まして、寝かしてやる。」之が彼の持ち前である。
或る男が、生きた竹を切っているのを見掛けた時、彼は額の上の方迄、眉毛を持って行って了った。実際、彼の眉毛は好く動く。そして、普段でも、眼から二寸位は離れているが、驚いたり、怒ったりする時は三寸五分位に隔たる。もっと驚いたら、後頭部の方へと廻って行って了い相な気さえする。西洋人は怒る時眼を瞠って、隠れていた白眼迄をも現すのであるが、支那人は主に、顔面へ既に現れているものを、頭巾を冠った
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