渡っているのだと思わせて置き乍ら、実は泳がせていると云った様な訳の分らぬ画、私の言葉が人々に分らぬ程、比喩に満ちた画だ。之より分らぬものが又とあろうか。恐らく此の画には本質的な価値はないのである。唯何も分らぬ点が人々をして価値あるものの如くに眩視せしめるのである。斯んな例は世の中に沢山ある。
 偖て、聴き手よ。貴方方が若しも犯罪心理学者であり、美と罪悪との不可思議微妙な関係に就いて研究しつつあるならば、私が上来書き来った所の文体を検査した時、必ずやその筆者が幾分か悪人であらねばならぬと云う推定を下す事が出来る筈である。
 何故と云うに、骨董屋の店頭を見る時のような、まがいものらしい美(それは本統の美ではあるまい。)の併列と云い、その間をつなぐ幾分か意地の悪い暗怪と云い、之等は皆人間の悪心から流れ出す所の夢に他ならないからである。此の文体に表れた所は何等自然的な皮膚を恵まれていないボール紙へ塗った胡粉のような痛々しい化粧丈ではないか。
 ああそう云う類の化粧を以てのみ悪心を抱くものは生活する。その化粧は彼が書く文章の上にも行き亘る。「何んな種類の殺人が、一番芸術的であるか?」と云うような
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