、さあ、冷えない方へ……」やっと私は囁いたのである。
「私を女中以上に取扱ってはいけません……ああ身分が違う……私は悪い所から出て来た女です……」彼の女は悲しさで歯を喰いしばり、漸くに之丈を口走って眼を閉じて了った。
「その儘で沢山だ! 構わないが好い!」他の室で、未だ覚めていたらしい母が口を入れた。私は母親に大変な孝行な質――自分で云うのは可笑しいが、何んな曲った事でも母の命令なら従うように生れついた男――であった。それも、此の場合では大きな過誤の一つとなったのである。そして私は私の心を噛んでいるのだ。
 私は労れ切って、悪い夢の中に一夜を明した。次の朝、母より先へ眼を覚ますと、私はミサ子の代りに戸を明けてやった。明るく流れ込んだ光線は一切を明白に指し示した。ああミサ子はもう私の家の私の妻ではなかったのである。
 母は幾らか後悔しつつ、尚怒りを止めなかった。「何処迄人に世話をかけるのだ。もう捨てて置くが好い! あれはお前、不良な少女だよ。改心と懺悔を売物にし、家出をおどかしに使う、そんな少女なんだよ。」
 それから母は大変不安な焦躁を示しつつ殆ど狂的――そんな例を私は未だ私の母に於い
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