ないのか? あり過ぎる。それで困っているのである。私はもっと前の、もっと古い記憶から辿り直さねばいけないのだ。いや、説明の出来ない沢山の事が、語るのがつらい色々の事が、何うしてそんなに私の心の中に蠢動するのであろう。
 事の初めは何であったか? 私の母とミサ子との気持ちが合わなかったのを先ず思い出せ。それである。原因と名附けられるのは確かにそれであろうか? いや、之は大きい原因ではない。けれど斯んな工合であった――即ち、ミサ子と私の母とは大きい喧嘩をしたのだ。いや、そうではない。その事にも既に原因があった。私よ、驚くな。皆云って了う。私はミサ子と結婚する以前に、彼の女を妻のようにもてなした覚えは確かにない。断言する。それから彼の女が櫛を盗んだ時、彼の女は我々の知らない特別の週間の中に居たのである。だのに、何うしたのか。それを云うのがつらいのである。彼の女は私と四ケ月同棲した時、妊娠六ケ月位になっていたではないか! 之が潔癖な昔堅気な、そして士族の娘であった私の母を此の上もなく不快にし、喧嘩の素を造ったのである。元より、私は三つ許した次手に、四つでも五つでもミサ子の過失を許そうと心掛けて
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