隔てられている。私は此処で昔の朝鮮人でもした様な骨董的な空想を現実と妄想との中間的濃度を持つものとして味わう。
例えば、此の室の床が斜めに傾いているとすれば、それは悪い建築法の為めではなく、此処の地盤が、雪の為めに清透となったアペニン山脈中のある山腹に位すると考えて置こう。此の壁が破れている事には唯古典的な風雅丈を見出そう。人々はモーゼの書いた文書が破れていなければ、立派ではないと云うであろう。時と云う風雲は唯一の装飾法を知っている。それは物を少し許り破る事で、全体をメッキするのである。此の方法は私に依って「支那式美術」と呼ばれていた。何となれば、支那はその建国が古過ぎて、物を凝集する焦点を通過して了ったと云う様な点からではなく、あの国のものは凡て不足と欠乏で飾られているからである。彼の国で多過ぎるのは唯料理の数丈ではないだろうか。
「之は厭な云い廻しだ。」と聴き手は私の鬱陶しい衒気を瓦斯の様に嫌うに極まっている。其れに何の無理があろう。私も自分自身が随分厭なのだ。
それにも拘らず、いや、寧ろ、一層図々しく、私はウツラウツラと考え続ける。何を? 凡て外国の骨董品の事をである。メソポ
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