の慰安で自分を飾り得たと思っていた。例えば、何んな紙――物理的に汚れて鼠色になったのでも、化学変化の為めに黄褐色になったのでも構いはしない――でも自分の手に入って来ると、私は其れからエジプトのスフィンクスを切り抜き出したものである。成程、自分の前には平面なスフィンクスが幾匹か現れて来る、之は物質に形を借りている。唯平面である点に、多量な妄想と空想が盛られているのである。私は何うかせめてバスレリーフとしてのスフィンクスをセルロイドからでも刻み出したい。それは此の惨めで汚い貧困に聊かでも敵対する心の贅沢である。
「厭な人間だ!」私の聴き手は斯う私を舌打ちで鞭打つだろう。けれど、私は一人の病み患う子供の様なものである。肉を蝋にして燃しながら、空想の焔の糧にする程、静かに座っているのが持ち前の人間である。斯んな男に附き纏う貧困こそは悪性のものに相違ない。賭博者、ピストル丈を商売道具にする男、単純な無頼漢、彼等に絡《まつ》わる貧困の方が、まだまだ私の類よりは光明を持っている様である。
 宜敷い。私は独りで居よう。昔式の巡羅兵が持つ蝋燭の灯の廻りを黒いガラスが護る様に、兎も角も、私の四壁は他人から
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