男の方へは注意せず、女の方を真正面から眤と見てやった。彼の女は消え易い雪の様に素直で臆病であった。何うして斯んな大人し気な女が盗みを働いたか? それは一つの大きな疑問である。
「ミサ子さん!」と私は馴れ馴れしく云ってやった。「ミサ子さんとは、何て好い名だろう。あの晩に教わった名ですね。」
教員は険悪な風向きを見て取ると、私を慰撫するように口を入れた。
「ああ、心は微妙な丈に、又毀れ易いものです。さあ、此の娘さんの心を掻き乱さないように、二人で愛して上げねばいけない。」
「二人で愛する?」と私は眼を赤く怒らして、教員の前に立ち塞がった。けれど、不意に自ら耻じると、主人に会った犬のように、私は大人しい表情に戻り、それから静かに処女の方を振り返った。
ああ、その時である。その処女が私を強い恋着の眼で見つめて居たように思い取れたのは……けれど私はそれを気にしなかった。いや、自分の見ちがい、もしくは思いちがいであると信じて了った。
私は落ちついて、別れの言葉を告げ、二人をうしろにして、他の路を取った。淋しい心から、頼り所のない気持が湧き上って、斯う私に問うようであった。
「何うしたのだ。あ
前へ
次へ
全146ページ中120ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
松永 延造 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング