がんだ。すると女は怒って男の襟をつかみ、ふり廻し、「私を唯の女と思ってるのか?」とおどした。男も黙っていなかった。「この畜生!」と怒鳴ると女の首を絞めた。女は手を合せて拝み、それからは大人しく何でも男の云う事に従った。何か新らしい事を教えると女は男を尊敬するようになるのである。
それだから、あのアバズレ共が今になって何れ程私から新しい世界を見せられ、そこへ導かれたかは云う迄もないであろう。
来た手紙には斯う書いてあった。
「……本統に私達は生きていたくありません。生きていたって、生きている気持がしていませんわ。」私は口惜しそうにそれを破きすてた。
又その次に姉丈が一人で手紙を寄越した。
「……貴方は何んと云う方でしょう。愛する印だと云って私の腕へSと云う形の傷をおつけになりましたね。そして、ああ何と云う事でしょう。妹の腕を見たら……そこにも矢張り、Nと云う傷がありましたわ。私は貴方の心持が分らないで泣いて居ります。」之が新らしい教えの一つである。
又その次に妹の方がサッサとよこした。
「………私丈を連れて逃げて下さい。私は怨んでいますよ。」
それから別々に沢山来た。又一緒に書いても来た。もう無茶苦茶に書いてあったり、丁寧に考えて書いてあったりした。大概は馬鹿な事が云われ、時には利巧な事も云われてあった。無為に然も急速に時がたって、又手紙が来た。
「……貴方は何故何うにかして下さらないのです。私達は之から何うなりますのでしょう。ああ、困ります。
今日或る人が噺した事を聴いて、私達はふるえました。それは斯うで御座います。
去る十二日、身元不明の妊娠女の溺死体が石油庫の前の川へ流れて参りますと、続いて又異った妊娠女の死体が出て参りました。一方は初めから浮いていました。もう一つの方は呼ばれたように底から出て来て、浮いてる方のそばへ行きました。すると両方の鼻から血が出たと云う事でした。あとで検べたら、二人は同じ模様の長襦袢を着ていました。二人は姉と妹であったのです。姉は妊娠四ケ月妹は五ケ月であった相です。妹の方が一ケ月先へ妊娠していたのです。ああ、貴方何う云うお積りなのですか。分りません。私達は泣いて居ります。この人々のようになったら何うしましょう。そして、この人々のようになるのは随分たやすい事ですわ。二人で心を痛めておりますわ。ああお怨み申します。」
まずい文章ではあるが思っている事の十分の一位は表現出来ている。二人はそんな話をきいて悲しみのあまり手紙を書いたのであろう。そして可哀想に文章にはその悲しみさえよくは表れていないのである。
その又次には妹がよこした。
「……姉はあんな病気をしたのですもの。決して心配はありません。きっとまだ出来ては居りませんでしょう。又そんな事をきいても見ません。けれど私は丁度年も宜敷く、丈夫な身ですもの、今度こそは妊娠だと思います。ああ、あなたは何うして下さいますか。此の前のように間違いであったら好いと思っていますが。今度は何うしても間違いではありません。何うしてもそうのようです。怨みます。もう死んで了います。早く来て下さい。私丈と逃げて下さい。」
姉の方は姉の方でやっていた。
「……貴方はあんまりです。私は川へ入って死んで了います。妹と一緒に死にます。あの此の間あった話のように。……妹は毎日吐いています。あれは妊娠したのです。けれど貴方の子ではありません。あれはまだ他に古い馴染を持っています。貴方はそれを信じないのですか。」
未だ未だ手紙は来ては破かれ、捨てられた。
「畜生!」と私は独りで怒鳴った。「手前達二人に情死なぞ出来るものか? お互いに殺しっこをしても自分は救われようとしている癖に、二人で川へなぞ入れるものかい、馬鹿! 手前等は引き潮の時に潮干狩りでもしやがれ。二人で引かき合え。喰いつき合え。だが何うして一緒に姉妹心中なんかが出来るもんかい。」ああ之は何と云う無慈悲であったろう。
妹の冤罪で憤怒し狂乱している私の心は全く悪辣になった。私は自分でそれを悲しみ、泣き、悔い、又怒った。そして結局は何も悲しまず、悔いないのと同じであった。
そして時には、自分と自分の周囲とを忘却するために、憎んでいる女等のもとに走っては、獣の如きことを繰返した。女等はその度に思い出して私を怨み、時には柔かな手で私の頬を打った。何故か私は「打て、もっと打て!」と叫びつつ、少しも抵抗しなかった。それは相手を憐愍するから起る忍耐ではなく、ああ実に、聴く人があらば聴いて貰いたい、実に、それは、自分から自分を侮辱し軽蔑する自棄と放胆とから生じた忍耐であった。
では之が一切であったか。之が起った事の凡てであったか。いや、之からが本統の話しになるのである。
云い忘れて了ったが、私は病院に寄食していた頃、カ
前へ
次へ
全37ページ中22ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
松永 延造 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング