磁石の働きをするんだ。面白いじゃないか。私の腕に依って磁針の方角を変化させることが出来るのだ。何でも両腕が恰度両極になってるんだ。いや足の方にも同じ性能があるんだ。試験をした理学者も驚いていたよ。私位い強い磁力を持った男は少い相だ。ね君。人間は一様でない、と云うのが私の理論なんだ。」
知り合いの男は何でもそんな風に話した。私は細かい点をもう記憶していない。私が知っているのは唯自分の淋しさ丈であった。私は海岸を歩き乍ら涙をこぼした。それから暗澹たる夜空を眺めた。遠くに火事が起っているらしく、空の一点丈が赤く色づいていた。
「人間は一様でない? 馬鹿な! 別々のものが一つに見える。姉と妹とは段々似て来る。此の頃では嫉妬の喧嘩もしない。却って彼の女等は二人で慰め合い、二人で心を合せて私を怨んでいるのだ。別々のものが一つになったのだ。」
私は向う見ずに歩いた。と云うよりは足に体が引きずられ、体に足が引きずられて行ったのである。
暗の中にはもう一人別の知り合いが立って考えていた。そして何時もの通り、私をさぐるような目つきで近づいて来ると
「例のバタバタは何うなっている?」と問いつめた。知り合いの眼には悲痛な色があった。
「依然としてバタバタだ。」と私はうなだれて答えた。
「ああ悲しい事ではないか。それは現象自身がバタバタなのではない。君の心! それが大変傷ついているから起るのだ。同情、……君分るかね、同情だよ、同情を以て朝顔の蔓を見てやり給え。蔓の先にはカタツムリのと同じ眼があるのさえ分るだろう。バタバタは同情の欠けた所に直ぐ起って来る一つの破壊的な渦流なのさ。それは恐ろしい。人間がべルトやシャフトや電球のフィラメントやセルロイドの切り屑に見えてよいものだろうか。」
「私を此の上苦しめるのか?」私は夢中になってその知り合いに刃向った。勿論唯斯う書き流すと、その知り合いはダイヤモンドのようなものに思い取られ勝ちであるが、実を云うと、私の周囲には私を何時も戒めて呉れるある免職教員が実在したのである。それは事実に於いてはもっと自然的に私の前へ表れて来るのであるが、私は彼を恐怖する余り、闇の中で彼の声を不意に聞くような錯覚的な記憶丈より他に何ももたないのであった。
「君は冷静なのでない、苛酷なのだ。君は自然主義の小説家のように唯一面的に苛酷なのだ。老子のように柔しく広く無関心なのではない。獄吏のように首斬り台の音丈を音楽だと主張しているのだ。悲しいではないか。バタバタは狂気の一歩前なのだよ。おお、そしてあの火事を見たまえ。病院の方ではないか。」
「そうだ。」私は萎《しお》れて答えた。何がそうだと答えたのか? 勿論両方の話し、即ち私が何うしても苛酷な事と、火事の方角が病院の近くである事の二つに対してである。
罪は常に他の罪から起る
急に新らしい事件である。
火事! そして燃え上っている。病院が焼けて倒れる。それが何よりも明らかな事実であった。
それは未だ良い。悪いのはもう一つの事であった。火事が厳密に検べられた時、私の妹丈が怯えて答えを曇らした。ああ、そして、何たる運命の狂いであるか。妹の行李が荷造り迄されて、病院から遠い物置に隠してあった事実が発見されると、眼の早い警官達は、妹に放火の疑いをかけた。
「妹! お前がやったのか? そして、昼間の中に自分の行李を焼けない所へ持って行って置いたのか? おお、それが低能の証拠なのだ! 何よりの印なのだ。」
私は悲愁と絶望と低能な妹の代りに受けねばならぬ責任感とで、体を折られるようなつらい思いを味わった。
「兄さん。仕事がつらくてね。病院を焼いたら家へ帰れるかと思って……」
「それが低能な女の考えなのだ、世間に好くある例の一つなのだ。」全く読者よ。低能な女は他の低能な女の精神をまるで模倣でもしているようではないか? 一ケ月新聞を読み続けた人は必ず如上の実例を二つ三つは見掛けるに相違ない。然も何うであろう。妹は全く独創的に此の犯罪を犯したのである。之が白痴に取って最大の発明なのか? そして、馬鈴薯からは馬鈴薯が出来ると云う悲しい事実を語っているのであるか?
妹の裁判は大変に厳しかった。そして精神鑑定係りと呼ばるる自痴に近い医師は彼の女が白痴と見なさる可きでない事を主張した。(之は東京から遠い地方の事である。東京の裁判所では多くの医学博士が何かしらをしていて、犯人が白痴であるか何うかを、色々と相談する。そして、彼等は博士なのである。)[#「(」「)」は、「(」「)」が二つ重なったもの]
妹は九年の懲役と極められた。
私は何んなに沈鬱な日を送ったろう。そして何んなに妹のための罪減ぼしとして、善良な仕事と行為とを望んだであろう。此の悲しい動機に依って、私は徐々に正しい道を踏む事が出来
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