私は悪い女のように憤りました。
『人間だったら、人間なみになれ。あすこにもう一つ干してあるハンケチを取って来て見ろ!』
私はこの時、自暴自棄な気持になって、隣家の様子を伺いました。そして、ああ何を致したでしょう。ハンケチを盗み取って来ると、それを旗のように振って父親に見せびらかし、それから母親の頭へフワリと冠せると、狂的な笑い方をして、その場へ倒れ、足で壁をたたいたので御座いました。
父は腹の底から出て来るような深い笑い方を致しました。カツギを冠った母は何だか踊りの手拍子のような事をして見せました。
それは滑稽で御座いました。けれど之が滑稽であって宜いのでしょうか。
『悲しいな、悲しいな、小鳥は何処へ行った。』私は斯う思って外の空を眺め、もう自分が大変に悪い女になっているのを愍傷しつつ、せめてもの罪滅ぼしに遊んでいる子雀へ米を投げてやりました。
けれど、もう駄目だったのです。鏡を見ても、耻かしい気も起らなくなりました。『なあに、仕たい事は何んでもするが好い。それから仕たくないこともどんどんとするが好い。』私はそんな風に叫んだので御座います。
私は二度上手に物を盗みました。そして三度目に、未だ手馴れぬため、あのセルロイドの櫛を取り損って了ったのです。お許し下さい。お許し下さい。私には皆分るのです。柔しく色々と教えて頂いて、又知慧の光が私には見えそめて来ました。私は悪い女で御座います。私の悔いは本統に強く湧き起って居ります。ああ、嵐の中の若木のように、私の心で、そして体で、こんなに悶えているので御座います。あの若い商人の方が許して下さると仰言るので、私は余計につらく、身がいたくてなりません。」
哀れにも虐待された処女は斯う物語って涙を拭いた。
小鳥を哀撫することで、薄倖の中にも、或る静かな慰安を感じ、それによって、強い僻みから逃れて来た美しい霊が、急に陰惨で極悪な境へ迷い込み、四囲に漂う闇黒のために霊の表面を汚染されるというのは何と痛む可き事実であろう。然し、幸いな事に、汚染されたのはホンの表面丈に過ぎないと云う新らしい発見が私(教員)[#「(」「)」は、「(」「)」が二つ重なったもの]を何よりも強く勇気づけた。私はよく考えたのちに、処女へ向って慰安になるような次の言葉を与えたのである。
「余り心配なさいますな。心は労れ過ぎると又分別を取逃すおそれがありますからね。今は寧ろ安心するように努め、之から来る幸福をお考えなさい。それが直ぐ来ないでも遠くに見えると云う事は、すでに幸福の一種ではありませんか。きっと、貴方は善くなれます。そんなに貴方の心は美しいのですから。
盗みと一口に云えば、人々は何んな盗みをも一様に思い取り、其れは悪い事だと、顔を反けますが、人の心が複雑であればある程、盗みの種類も多く、又差等がなければなりません。
私は斯う云う話を聞きました。一人の有名な画工が、一人の熱心な弟子を持っていましてね、或る時、二人して同一の林檎を写生したのです。すると、師匠の方のは発色が鮮かで、本統の果実のように出来たのに、弟子の方のは色を余り重ねたので、濁って汚くなったのです。それで師匠は一寸軽蔑を以て、弟子の画を批評したんですね。弟子は傲慢な質と見えて、カッと顔を赤くしたそうです。師匠は生意気な弟子を睨めると、『君の絵より、その顔面の朱の方が発色が好いじゃないか?』と申しました。それは本統に同情の欠けた言葉に違いありません。弟子は立ち上って申しました。『先生は何か秘密な高価な絵の具を使うのです。それを私に教えないんです。』
『馬鹿な! もっと技巧を練りなさい。すると絵の具が云う事を聞いて呉れるようになるんだ。ブラッシュへ入れる指先の力の工合で発色が異って来るのだ。』師匠は斯う云って、手を洗うために画室を去りました。独りになった弟子は、いきなり師匠の絵の具箱の所へ飛んで行って、林檎の赤い色を表すために使ったギャランスフォンセと云う絵の具のチューブを握り締めてね、中の絵の具を二寸も押し出して、やり場に困ったものだから、自分の口の中へとナスリつけて了ったんです。
貴方、分りますか? 之だって立派に盗みの一種です。けれども、此の盗みの原因を考えて同情のある許しを与えると云う事は我々に何れ程必要であるかを知らねばなりません。
此の弟子の心には先ず第一に嫉妬、それから疑念、それから憎悪、怨恨等が渦を巻いていたのです。そして重に嫉妬が原因となって盗みをして了ったのです。当の絵の具が欲しいのではない、先生と同じ技能が欲しいのに、やはり行為の上に表れて来た事を見ると、絵の具を盗んでいるんです。人間と云うものは無形な事を有形にして表す傾向を持っています。彼は具体的に事を為す性質に災いされているのですね。
分っています。貴方が盗みをす
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