隔てられている。私は此処で昔の朝鮮人でもした様な骨董的な空想を現実と妄想との中間的濃度を持つものとして味わう。
例えば、此の室の床が斜めに傾いているとすれば、それは悪い建築法の為めではなく、此処の地盤が、雪の為めに清透となったアペニン山脈中のある山腹に位すると考えて置こう。此の壁が破れている事には唯古典的な風雅丈を見出そう。人々はモーゼの書いた文書が破れていなければ、立派ではないと云うであろう。時と云う風雲は唯一の装飾法を知っている。それは物を少し許り破る事で、全体をメッキするのである。此の方法は私に依って「支那式美術」と呼ばれていた。何となれば、支那はその建国が古過ぎて、物を凝集する焦点を通過して了ったと云う様な点からではなく、あの国のものは凡て不足と欠乏で飾られているからである。彼の国で多過ぎるのは唯料理の数丈ではないだろうか。
「之は厭な云い廻しだ。」と聴き手は私の鬱陶しい衒気を瓦斯の様に嫌うに極まっている。其れに何の無理があろう。私も自分自身が随分厭なのだ。
それにも拘らず、いや、寧ろ、一層図々しく、私はウツラウツラと考え続ける。何を? 凡て外国の骨董品の事をである。メソポタミヤ人は三千年前に何んな頬髯の生やし方をしていたか? 斯んな考古学は厭世の一種であって、自分の汚さに困じ果てた人の息抜きに過ぎないのではあるが……
「私はもっと隅の多い室に住みたい。暗さは之で恰度好いから……」そして空想の中に於てではあるが、華麗な伊太利風の模様のある厚い布で白い光を屈折させ、銅の武具とか、古い為めに暗くなっている酒の罎とか、アラビヤ人のかつぎとかで、色んな色の影を造って見るのである。私は菱形の盆を大きくしたような寝台に平臥して、金縁の附いた天鵝絨の布団を鼻の下迄引張るのである。斯うするとまるで孔子の髯の様に長く、黒い布が私の足に達するであろう。
いや構わない。もっと妄想――即ち思想の膿を分泌せよ!
支那風な瑪瑙の象眼に、西欧風な金銀の浮彫りを施した一つ小箱には、自分の眼底迄が黒い瞳の闇を透して写り相な磨きが掛けてる。その中には暗中に生活した為めに、肉体の弱り切った子供の様に見える所の、或る秘密なミニエチュアを二枚合せにして蔵している。それは海の中にある極楽の様に冷や冷やとした画であるが、見ていると記憶が乱れ切って了う様に、四ツの焦点が注意を掻きむしる。自分が橋を
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