渡っているのだと思わせて置き乍ら、実は泳がせていると云った様な訳の分らぬ画、私の言葉が人々に分らぬ程、比喩に満ちた画だ。之より分らぬものが又とあろうか。恐らく此の画には本質的な価値はないのである。唯何も分らぬ点が人々をして価値あるものの如くに眩視せしめるのである。斯んな例は世の中に沢山ある。
 偖て、聴き手よ。貴方方が若しも犯罪心理学者であり、美と罪悪との不可思議微妙な関係に就いて研究しつつあるならば、私が上来書き来った所の文体を検査した時、必ずやその筆者が幾分か悪人であらねばならぬと云う推定を下す事が出来る筈である。
 何故と云うに、骨董屋の店頭を見る時のような、まがいものらしい美(それは本統の美ではあるまい。)の併列と云い、その間をつなぐ幾分か意地の悪い暗怪と云い、之等は皆人間の悪心から流れ出す所の夢に他ならないからである。此の文体に表れた所は何等自然的な皮膚を恵まれていないボール紙へ塗った胡粉のような痛々しい化粧丈ではないか。
 ああそう云う類の化粧を以てのみ悪心を抱くものは生活する。その化粧は彼が書く文章の上にも行き亘る。「何んな種類の殺人が、一番芸術的であるか?」と云うような云い廻しに於いて、彼は最も悪いものを優雅に見せようとする。或いは又、暗怪と虚言との中に、彼の理想(即ち人を殺す事)をうまく嵌め込んで、
「おい、君はB市の市長が床の上で死んだと思っているから、お芽出度いね。ウム、秘密を知っているのは私丈だよ。実はね。実は、R公園でグサッとやられたのさ。お供のやつが大急ぎでその死体を家へ運んで了ったんだ。それで……つまり……床の上……と云う事になるんだ。いや、検べてみると病気で死んだ積りになっている有名な人々が、随分非業な最後をやっているのさ。」
 斯んな虚言程無気味なものがあろうか。斯んな虚言を吐く男の眼は何んなに上釣り且つ濁りつつ光っていることであろうか。
 真に私自身も亦此の男の如くであろうか。おお、私は常に殺人の秘密な意図で心を波打たせている。私が殺してやろうと思っている或る人間の眼が、泥の中や水の上へ浮んで腐ったように赤くなっているのを見る事がしばしばある。けれど私は臆病な空想勝ちな燻ぶり返った一人のセルロイド職工に過ぎない。

   支那人鮑吉

 尊いものは稀である、と哲学者は云っている。成程、其れに間違いはない様だ。あったとしても取り立て
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