葡語のバランソから轉し、バランのみが採られて、それにコが附いたものではなからうかと思ふ。果してさうであるとすれば、日本には歴史上鞦韆の二つの流れが入つたので、古るくは支那から渡り、新しきものは歐羅巴から渡り即ち希臘から發して東西に傳播したものが、茲に日本の歴史で相逢ふことになり、鞦韆の綵繩が世界を一卷きすることになるかも知れぬ。今は疑を存するの外ない。
底本:「日本中世史の研究」同文館
1929(昭和4)年11月20日初版発行
初出:「藝文」第十三年第一號
1921(大正10)年1月発行
※「高無際や元※[#「禾+眞」、第3水準1−89−46][#「※[#「禾+眞」、第3水準1−89−46]」は底本では「槇」]」と「輸入されたとすれば[#「ば」は底本では「は」]、」の修正は、初出に拠りました。
※その他の修正は、文意から判断しました。
入力:はまなかひとし
校正:湯地光弘
2004年5月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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