があるかは、一方の死んでしまった後に、分明にし得べきことでない。九条家では不届な家職を手打ちにしたというのであるけれど、それは私事で、朝臣たる大内記唐橋在数を、同じく朝臣たる九条家父子が殺害したことにもなる。おまけに在数は当時あたかも菅家一門の公卿の長者であった。そこで菅家の連中が承知せぬ。一族の協議会を開いて申状を認め、公然と出訴におよぶことにした。一族中には九条家の威勢に畏れて首鼠《しゅそ》両端の態度に出でた者もあったけれど、多数はこれに連署した。菅家以外の公卿も多くは九条家に同情しなかった。この刃傷沙汰は朝廷としても捨て置かるるわけには行かなかったので、遂に子の尚経の方に責を帰し、その出仕を止められた。そうなると世間の手前もあり、舅たる実隆も公然九条家に出入することもできず、そのために遂に四年間も無沙汰をしたのである。この無沙汰中に娘保子は男子を産んだのであるけれど、実隆は初孫の顔を見る機会を得なかった。ところが明応七年十二月の十七日に、尚経の勅勘ゆるされて出仕することになったので、実隆も大手を振って九条家を尋ね得ることとなり、その翌日早速訪問に及んだ。婿の出仕祝と無沙汰の詫《わ
前へ
次へ
全144ページ中98ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
原 勝郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング