角征伐のごときは、藤氏全盛時代の公達《きんだち》には見られぬ現象であって、この見地からするも両時代の差を分明に示すものであろう。しかしながらこのほかにも武人化なる語に尚別の意義がある。
元来藤原時代の文明はすこぶる階級的な文明であった。この文明の下に庶民もいくらかの進歩をなし得たことはもちろんであるけれど、それはいずれの階級的文明にもあることで、この文明の浸潤がある故をもって、藤原時代の文明がかなりに庶民をも眼中に置いたもので、すなわち階級的なるに甘んじた文明ではないというのはこれ少しくいい過ぎた論である。そもそも庶民を眼中に置いたか否かが階級的であるないの標準となるものではなく、上流社会が庶民を自分らとははるかに隔った徒輩と目して、もってこれを眼中に置くということがそれがすなわち立派な階級的精神である。さてその階級的であった状態からして、次第に平等の域に向って移り行くのには、かの慈悲とか憐愍とかいうように、己を先ず一段高き地位に標置して、それから下に向って施すところのその厚意に基くことははなはだ稀であって、多くは上流者が下級者の己に接近するのを認容することによって実現されるのだ。し
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