第三は苧《からむし》の関務である。この収入はもっぱら官女の給分等に充てたものらしく、年貢については文亀三年に三百疋の収入があったことを記しているのみで、定額がわからない。この苧の関務をばやはり斎藤氏の一族が取り扱っておったものと見えるが、美濃、坂本、京都の間をしばしば上下する金松四郎兵衛という者もまた周旋の労をとっておった。土岐の明応五年の没落を報じて来たのもまたこの男である。
以上のほか三条西家の所領としては尾張に福永保があると記してあるけれど、つまびらかなことは知れない。また近江の阪田郡加田庄、これはもと正親町三条家のもので、転じて実隆の領有に帰したのであるが、岩山美濃守政秀なるもの半済を掠《かす》め取ったので、これに交渉を重ねたことが見える。年貢としては明応五年に飯米三俵の収入があったほかに何もわからぬ。
最後に三条西家の収入として叙せねばならぬことは、苧の課役の一件である。三条西家が美濃の苧の関務を領し、丹波の苧代官とも関係があり、阪本からも苧の課役が運ばれ、また天王寺の苧商人からも収得するところあった。して見ると二条家と殿下渡領とでもって、菅笠の座からの運上を壟断《ろうだ
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