ている。しかして同年内になお二駄の年貢米がまた今林庄から納付になっているからして、三石六斗の合計になり、かなりの収入となったのである。なお丹波にはこの今林庄のほかに桐野河内という所から莚の年貢があり、土著の代官として、明応四年に片山五郎左衛門、同六年に月山加賀守という者が見えている。これらの代官は主として苧《からむし》の公事《くじ》のために置いてあるので、莚の方は実は第二だ。この地方から秋になると柿や松茸などを鬚籠に入れて送って来たことが日記に見える。
 遠近の丹波と相|若《し》くのは、摂津富松庄である。富松は河辺郡と武庫郡とに分れて、東西富松の二つある。しかして富松庄は三条西家の専領ではなく、むしろ西園寺家の所領というべきもので、三条西家はわずかにその三分一をのみ取得としておったことが日記の永正三年四月の条に見え、西園寺家でこの荘園を沽却《こきゃく》しようとするから、その三分一の権利を三条西家に保留してあることを奉書の中に記入してもらいたいと、幕府へ申し入れた記事がある。して見ると東西に分けて分領したのではなく、富松庄の表向きの領主は、西園寺家だけであったろう。しかしこの庄の代官とし
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