でもいくばくもなく行き詰まるべき運命を持っていたのだ。日本は幸いにして、これを齟嚼《そしゃく》するのに反芻《はんすう》作用をもってしたので、はなはだしい害をば受けずにすんだのであるけれども、もしそれがなかったならば、日本も朝鮮のようになったにきまっている。だいたいにおいては一旦行き詰まりかけたに相違ないのである。しかしてこの行き詰まりを切り開いたのはすなわち鎌倉幕府の建設である。いわゆる窮してまさに通ぜんとしたものだ。それが十分に通じかね転じかねたのは、輸入された方があまりに優勢であったからであって、たとえてみれば一河まさに氾濫せんとし、幸いに支流の注入によってしばらく流路を転ぜんとする勢いを示すも、原流のあまりに水勢強きがために、ついに大いに流路を転ずることあたわずして終るがごときものである。要するに幕府が鎌倉からして京都に移されるとともに、せっかく鎌倉に出来かけた新しい文明の気運はここに萎靡《いび》し果てて京都のみがまた旧のごとく文明の唯一中心となるに至った。しからばその京都はどんな有様であったか。
奈良朝以前から輸入されきたった文明は、平安奠都によって京都において涵養《かんよう
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