強くない論であるので、全然彼を模倣してはおらぬと言うだけでは、輸入分子を主としておらぬという証明にはならぬ。もし当時の日本の指導者が、行き届いた細心をもって取捨を行ない、己を主として然る後に彼に採るところがあったとすれば、換言すれば彼らのやり方が進歩的保守主義であったとすれば、藤原時代の文明というものは、決して然るがごとく早く行き詰まるはずのないものである。予の見るところではどうしても彼を本にしてこれに若干の修正を加えたと考えるほかはない。
すでに彼を主にしたといえば、次に起こってくる問題は、そのこれを輸入した当時の彼国の文明の如何なるものであったかというまでに及ぶのであるが、隋唐の文明はこれを輸入した当時のわが国のナイーヴなのに比べて、宵壌《しょうじょう》の差ある優秀のものであった。隋はともかくとしても、唐にいたっては、その文明が支那においてすら行き詰まるほど発達してしまった時である。かくのごとき高度に達した一種の文明は、これをいっそう進歩した国に移植したとて格別の累をばなさず、かえって進歩を助けるのであるけれども、これをはるかに彼に劣った当時の日本に移植したのであるからして、日本
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