の日記に認めている。畢竟《ひっきょう》貴族が己れの都合によっては、下級の者と伍することをいとわぬのは、一見平民主義から来ている現象のごとくではあるが、もし下級の者がそれらの貴族を対等視することになるとたちまちにして彼らの階級的の誇を傷つけ、不平の念を起こさしめるということは、要するに真に平民主義な貴族のはなはだ少ないことを証するものであるが、足利時代の公家の心理はまさにそれであった。武家を軽蔑するけれど、抵抗の無益なことはよくわかっているから、無謀な企てをばなさぬ。そのかわりにできるだけ武家を利用してやろう、これが公家らの立場であったのである。故に前にも述べたとおり己らの荘園からして全然地頭を斥《しりぞ》けようとはもはや試みぬかわり、それらの武人らに頼んで、取れるだけの年貢をとるようにする。百姓らが納め渋ぶる場合に武家の命をもって催促させる。御奉書を出させる。それだけでは武人の方に利益がなく、真面目に依頼の件を実行してくれそうにもない場合には、もし催促の利目《ききめ》があって首尾よく年貢が納まるならば、その半分を周旋した武人にやろうと利をもって誘う者もある。
 これに類するような公私種
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