頽勢の挽回し難きものなることは、この征伐の不成功によっていよいよ明白になった。秀吉の時にて荘園が全然日本に地を掃うようになったが、その実この掃除は足利時代の後半において引き続き行なわれたので、その荘園取り払いの歴史中で、近江征伐のごときは正《まさ》に一つの大段落を劃するものだ。約言すれば応仁の乱があり、それからして近江征伐が文明年間の末に失敗におわると、その後はいよいよいわゆる天下の大乱となり、京都はその主なる舞台として物騒を加えるのである。京都市中の警察には細川、赤松らの大名その任に当っているわけであるけれど、直接その衝に立つものは、安富とか浦上などの被官人で、所司代の名をもって職権を行使しておった。しかし決して熱心な警察官とはいい難く、騒擾はなはだしきに及びてようやく手を下すのであるから、それらの力によって京都の粛清が十分にいたされ得たのではない。しばしば蜂起する土一揆は、あるいは東寺、あるいは北野または祇園を巣窟として、夜間はもちろん白昼も跳梁し、鐘をならし喊声を揚げ、富豪を劫掠する。最も多く厄に遭うものは土倉すなわち質屋ならびに酒屋であった。襲撃のおそれある家では、危険を避け、
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