は非常に貴いというほどでなく、父なる公保は正親町三条から入って西家を嗣いだためか内大臣まで歴進したけれど、養祖父実清の官歴はさまでに貴くなかった。養曾祖父とても同様である。しかして槐位まで達し得たかの公保すらも、その在職極めて短くして辞退に及んだ。これは家格不相応の昇進をなした場合によくあることである。つまり今日いわゆる名誉進級という格だ。また実隆の親類を見渡すにあまりに高貴な家は少ない。母は甘露寺家の出で房長の娘親長の姉である。妻は勧修寺教秀の女で、実隆の子公条の妻もまた甘露寺家から嫁入りをしている。要するにその一族の多くは、今の堂上華族中の伯爵級なのである。それらからして考えれば、実隆の生家というものは、公卿の中で中の上か上の下に位すべき家筋であるのであって、この家柄のよいほどであるという点は、すなわち実隆をもって当時の公家の代表者として、その生活を叙すると、それによって上流の公家の様子をも窺い、あわせて下級の堂上の状態をも知らしめることができる所以なのである。もし当時において誰か一人の公家を捉えてこれを叙するとすれば、実隆のごときはけだし最もよき標本であろう。のみならずかかる叙述
前へ 次へ
全144ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
原 勝郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング