化が多少デカダンに陥ったとはいいながらともかく新たな勢をもって復活した点において、しかしてその文化の伝播力の旺盛にして、前代よりもさらにあまねく都鄙を風靡した点において、日本の歴史上の重大な意義を有する時代であるからして、これを西欧の十四、五世紀におけるルネッサンスに比することもできる。もしはたして然りとすれば、イタリアを除外してルネッサンスを論ずることのできぬと同様に東山時代の京都の文化の説明ができれば、それでもって同時代における日本の文化の大半を説明しおわるものとなすべきである。しかして当時の京都の文化が、その本質において縉紳の文化であるとすれば、京都に在って、文壇の泰斗と仰がれておった一縉紳の生活を叙述することは、日本文化史の一節として決して無用のことであるまい。しからばその叙述の対照たるべき縉紳として次に選択された者は何人《なんぴと》か。三条西実隆《さんじょうにしさねたか》まさにその人である。
三条西実隆の生活を叙するに当って、第一に必要なのはその系図調べである。三条西家が正親町《おおぎまち》三条の庶流で、その正親町三条がまた三条宗家に発して庶流になるのであるから、実隆の生家
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