ぬと同時にかえって新しき光彩を発揮したのである。都鄙の交渉の頻繁なるがごときは、まさにもってこの伝播の盛んなのを徴すべき有力なる証拠といえるだろう。
 かくいわばあるいは異論が起こるかも知れぬ。鎌倉時代はその論でよろしいとしても足利時代は乱世であるではないか。その文明にはあるいは藤原時代になかった伝播力が具わっているにもせよ、群雄は各地に割拠《かっきょ》し盗賊は所在に横行し、旅行の安全を害しつつあったではないか。しかして交通安全でなければ、いかなる文明も遠隔の地に波及すること至難ではあるまいか。伝播力があっても、壅塞《ようそく》の方が強くして、伝播の事実が現われ難いだろう云々。この説は一応もっともではあるが、実は考察の未だ至らぬ点がある。なぜかというに藤原時代に文明の波及が遅々としておったのは、一はその伝播力の強からざるにもよるが、また一には伝播に対する自然の障碍《しょうがい》の未だ除かれざるものが数多あったに坐する。しかしてこれらの自然的障礙は、鎌倉時代から足利時代にかけて次第に打ち勝たれ取り除けられた。これは交通を易《やす》からしめ、したがって文明の伝播に資したこと少なくない。文明
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