判がいくらかひろがっておったのではあるまいか。
 かくのごとくして三条西実隆は、知己《ちき》を六十六国に有する一代社交の顕著なる中心となり、逍遙院前内府の文名が後の代まで永く歌人の欽仰するところとなり、ややもすれば灰色がちになり自暴自棄に傾かんとしつつあった彼の足利時代の文化に、微なりといえどもいくらか暖かみのある光を投げ得たのだ。本邦文化史上における彼の存在の意義はまさにここにあるべきである。むかし実隆の友なる宗祇の、山吹の花を愛したということは、肖柏の『春夢草』に見える。春の盛りをば飾らぬけれど、さりとてまた一種の趣なきにあらざるその山吹の花のごときは、けだしもって実隆を喩うべきものあろう。



底本:「現代日本思想大系27 歴史の思想」筑摩書房
   1965(昭和40)年1月15日発行
初出:「藝文」京都大学文学部
   1917(大正6)年8月号〜12月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)に関して、「三ヶ寺」「三ヶ事」は大振りに、「蝦夷ヶ島」は小振りにつくっています。
※誤植を疑った箇所は初出誌を参照して改めました。
※「観進」は「勧進」の
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