洛して彼を訪ねたからである。実隆は細川家の被官で、阿波と丹波とへ往来する斎藤彦三郎なる者と懇意であったが、最初友松は丹波の出生者たる関係で、この斎藤につれられて実隆を尋ねた。蝦夷ヶ島から戻ってのち実隆に謁したのは永正四年で、土産として青※[#「虫+夫」、第4水準2−87−36]半緡を携えたとある。談話の詳細は日記に見えないが、おそらく蝦夷ヶ島の奇談で時の移るを忘れたことであろう。
実隆は文学者として禅僧等に比してはむしろ日本的趣味の人であった。さりながら漢籍をもかなりに渉猟せること前にも述べたごとくで、明人との交際もあった。ただし当時京洛の人士が目に触れた明人といえば、すなわち有名な陳外郎で、実隆の最も親しく交わったという明人も、この陳外郎にほかならぬ。しかしてその陳外郎なる者は、明人とはいえほとんど本邦人と同様で、連歌の会にまで出席したほどの日本通である。さればこの陳外郎と交際したからとて、これをもって外人との交際と見なすべきものであるか否かは考えものであるが、この人ばかりではなく、来朝の唐人で禅僧の紹介を持ち実隆に面会を求めた宋素卿のごときもあった。して見ると明人の間にも実隆の評
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