原因は主として非尚武的な支那文明を過度に採用したからである。支那人が人種として尚武的であるか、あるいは非尚武的であるかは、しばしば論議せらるることであるが、これは今予の論ぜんと欲する点ではない。のみならず仮りに支那人をもって、本来の非尚武的人民ではないとしたところで、およそ民族の尚武的分子というものは、その文明の爛熟とともに次第に比較的減少をなすものであるからして、支那文明の絶盛期である唐代に、尚武的色彩があまり濃厚でないのは、これはなはだしく怪しむに足らぬ。しかしながら文明の燦然たる盛唐ですらも、予は尚武的分子の減退の程度はなはだしきに過ぎたと思う。ましてそれよりも未開の程度にある当時の日本が彼の系統的なのを喜んで、その本質をそのままに輸入し、日本が支那よりもさらに深く尚武的要素の必要を感ずるものだということに思い至らなかったのは、これすなわち政治の統治力の足らなかった有力なる原因であると考える。血液そのものの成分には欠点が少なくとも、日本の血管に文明の血の循環が十分でなかったのはその故主としてここに存せなければならぬ。
 鎌倉時代の文明は藤原時代の継続で、多少デカダンに陥りていこそ
前へ 次へ
全144ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
原 勝郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング