ればならぬ底《てい》のものでなくなったことに基づくとはいいながら、なおそのほかに伝播力が藤原時代に比して大いに増加したということも、そのまた有力な一原因をなしている。そもそも文明の伝播なるものは、ある意味において伝染病と同様であって、同じ伝染病でも時と場合によって、伝染性の強弱一様でないごとくに、本質を同じくする文明でも、時代によってその波及力に差等がある。本質と伝播力とは必ずしも並行するものではない。しからばこの伝播力が何からして最も有力なる衝動を受けるかというに、それはすなわち政治である。政治は文化の一要素をなすのみでなくあわせてこれを波及せしむる原動力をなすものである。藤原時代においては、その文明の品位がいかに優秀であったにせよ、その制度がいかに整然たるものであったにせよ、その政治の実施に必要な統治力が微弱であったため、大いに伝播すべきはずでありながら、しかもその伝播ははなはだ遅々たるものであった。あたかも道路の予定線の網のみが系統的に整備しておって、しかしてその線をたどる通行人の極めて寥々《りょうりょう》たるがごときものである。しかして何故に統治力が微弱であったかというに、その
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