、その他何事につけても芳情を示したからして、宗祇もまた二なく実隆を頼んだので、在洛の間にたびたびの訪問をしたのみならず、地方遊歴に出かける前、旅行から帰洛した後そのたびごとに必ず実隆のもとに訪れるのを例としておった。そもそも連歌師の常とはいいながら、宗祇の旅行は、その回数においても、はたまたその範囲においても、共にすこぶる驚くに足るものであり、関東には七年も遍歴し、十一箇国それぞれの場所から富士山を眺めて、なかんずく筑波山から見るが最もよいと断定したほどの大旅行家で、したがって方言にも精通し、かつて実隆に『京ニ筑紫ヘ坂東サ』などの物語をしたこともある。
実隆が文明十七年に、彼から『源氏』の講釈を聞くようになった以後、日記に見える彼の旅行だけでもおびただしいもので、最もしばしば、しかも手軽くやったのは、江州と摂州とであるが、江州行きなどは、あるいは彼にとり旅行の部に入るべきものでないかも知れぬ。摂州へ行ったのは、池田に用事があり、かつ有馬の温泉に湯治するための旅行であった。故に摂州行は必ずというではないけれど、多く気候の寒い時、すなわち十月から二月までの間にやったのである。以上二州より
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