々年すなわち長享三年の三月、宗祇はさらに『古今集序』聞書ならびに三ヶ事のうち切紙一、題歌事切紙一、以上を、実隆の邸に持参して、口伝いろいろ仔細があったと、実隆はその日記に載せている。
『源氏』、『伊勢』および『古今』の講義は、実隆が宗祇に習った主なるものであるが、このほかにもあるいは『詠歌大概』を読んでもらい、あるいは独吟連歌に関する心得を聞き、また宗祇の勧むるに任せて、源氏研究会とも称すべきものを、明応の初年に催したこともある。この研究会に関しては、七人で四箇条ずつの問題を提出して討論をやったが、霜月の日脚短く、宇治に関する分五箇条ほど残ったなどという記事がある。明応ごろには総じて『源氏物語』の流行も縉紳間に衰えたので、さきには講釈などをもよく聞きにきたかの姉小路宰相宗高などは、この研究会へ案内されたけれど、故障があると称して来会しなかった。実隆はその日記において大いにこれを慨嘆し、今時の人は今日のような研究会をもって、愚挙であるとして嘲弄するだろうが、かくも『源氏』を翫ばぬようになったことは、はなはだ不便《ふびん》なりというべきだといっている。実隆のごときは真に『源氏』の擁護者で、
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