その証拠には現に彼らの多数は、保元の頃まで藤原氏に臣事しつつあったのである。平氏が政権を握るに至ったのはこの下級中の上層に在った一族が跳びこえて上流の仲間入りをしたのであるが、しかしその目的を達するに至った手段は、平氏の本職たる武力によったのではなく、むしろ藤原氏中の一族が久しき沈淪から脱出して栄達したというような有様で、要するに宮臣的のやり方が、あずかりて大いに力をなしている。であるからして平氏中の特別な一族が立身したからとて、これにつれて平氏一門が栄達したというわけでもなく、また武士たる者の社会的地位が総体に向上したというわけでもない。武士という者が相胥《あいもち》いてその位置を高め、社会の表面に現われるようになったのは、武力によって、詳言すれば一個人の勇気ではなく多数武人の集合したる武力によりて、鎌倉の幕府が開かれてからの、その以後のことである。予が上文において武人化したというのはすなわちかくのごとき推移をさすので、階級的精神がこれによりてまったく打破されたというのではないけれども、ともかくかくのごとくして中流階級が出来たといおうか、もしくは上流階級が多人数になり、しかも単純なる
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