の作と称する阿弥陀如来を拝して、浅からぬ随喜|結縁《けちえん》の思いをなしたとある。かく上人との昵《なじ》みの深くなるにつれて、上人の来訪もあり、『円頓戒私記』の書写を頼まるることになったが、これも往生の縁というので、実隆は子細なく領状し、わずか二日間にその功を終えた。真盛上人との関係以外に、浄土宗信者としての実隆は、旭蓮社やその他の僧とも交りがあった。日記文明八年六月二十七日の条には、その日から日課として六万反の念仏を唱うることにしたとある。この日課はいつまで持続されたのか、その辺は知り難いけれど、とにかく彼は熱心な念仏の帰依者であったには相違ない、平素殺生戒を守ろうと念篤かったものと見え、明応六年の五月、薬用のために、庭上で土龍《もぐら》を捉えてこれを殺した時、やむを得ぬとはいえ、慚愧の念に堪えないと記している。明応六年といえば彼の遯世《とんせい》に先だつこと二十年である。しかるに当時すでにかくのごとくであったとすれば彼の遯世の決して世間一様のものでないことが知らるべきで、阿弥陀の尊像はいうまでもなく、土佐光茂に命じて画かしめた法然上人、善恵上人の両肖像は、彼の旦暮祈念をこらした対
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