て貂《ちょう》に続き、竹を栽《き》って木を修むるような仕儀に立ち至らしむるよりは、いっそのこと己の子をもって、相続せしむる方がよいとのことだ。実隆が己の子に跡目をつがす決心をしたことは、それで合点が行くけれど、長子を措《お》いて次男を相続人に定めたことは、これだけでは分明でない。相続人の定まった長享二年には、長子五歳次男二歳であった。長子の方が格別の器量でないという見当がほぼついたので、それよりは未知数の次男にと決したのか、さりとも他の理由あってのことか。『実隆公記』には、長享二年三月第二子公条叙位の条に、「二歳の叙爵は数代の嘉例なり、次男相続また嘉模《かぼ》なり」とある。叙爵の早い方がめでたいには相違ないけれど、「二歳の叙爵は数代の嘉例なり」とあるのは解し難い。現に実隆当人は四歳で叙爵している。もし自分を嘉例の中にかぞえぬというならば、「次男相続また嘉模」の方が了解し難い。実隆は次男で、父公保の跡を相続したのであるけれど、その公保に至りては、正親町三条家の次男で、三条西の跡を養子として相続したのである。要するにこれぞ十分な理由というべきものが知られてない。何か深い事情があるのかもわか
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