に「鶏鳴き、紫階星落つ、朱欄曙色にして誠に新しきものなり」とあるが、これ叙し得て妙というべきで、この数句は『実隆公記』中の圧巻といって可なるもの、ほとんど『明月記』の塁を摩するものである。
 文明九年参議となった実隆は、それから一年余りで従三位に叙せられ、その後また一年あまりで権中納言に任じ、侍従をも兼ねた。しかしてその主として奉仕した職務は番直や儀式の外には書写であった。当時多少文筆の嗜《たしな》みある公卿の多くは、勅命によって書写もしくは校合をやったのであるが、中にも能筆でかつ文字の造詣の深かった実隆は、他の公卿よりもいっそう頻繁にこの御用を仰せつけられた。書写をしたのは物語類とおよびそれに類した絵巻の詞書であった。あるいは書写をせずに勅命によって朗読したこともある。その書写または朗読したものを列挙するのは、当時の好尚を示すに足ると思うから、今繁を厭《いと》わずしてこれを掲げると、先ず絵巻の種類では『山寺法師絵巻』、『本願寺曼陀羅縁起』、『石山寺縁起』、『誓願寺縁起』、『因幡堂縁起』、『みしまに絵詞』、『源夢絵詞』、『春日権現霊験絵詞』、『東大寺執金剛絵詞』、『石地蔵絵詞』、『翻邪帰正絵詞』、『石山絵詞』、『介錯仏子絵詞』、『三宝絵詞』、『弘法大師絵詞』、『北野縁起絵詞』等で、このほかに書いたでもなく、また読んだでもなく、勅命によって一見を仰せつけられたものは数々あった。歌道は飛鳥井家の門人であって出藍《しゅつらん》の誉《ほまれ》高かったから、歌集の書写等を下命になったこともしばしばで、単に勅命のみならず、宮家、武家等からも依頼があった。歌集でないものにも筆を染めた。今それらを列挙すると、『続後拾遺集』、『殷富門院大輔集』、『樗散集』、『道因法師集』、『寂然法師集』、『鎌倉大納言家五十番詩歌合』、『北院御室御集』、『伊勢大輔集』、『出羽弁集』、『康資王母集』、『四条宮主殿集』で、これらの多くは伝奏たる広橋家を通じての武家からの注文であった。『万葉集』第一巻をば功成ると伏見宮に進献した。『十問最秘抄』と『樵談治要』と『心経』とをば禁裏に進上した。中身をば染筆せず、表題のみを勅命で認めた分もあった。
 朝廷に類《たぐ》い少なき文学者であったところからして、御製の讃等を遊ばす時には、実隆は多く御談合を受けて意見を奏上した。また書籍に明るいところからして、御買上げの場合
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