儀ことごとく凾に納め封を施して実隆のもとへ送り届けた。実隆これを記して、「誠にもって道の冥加なり、もっとも深く秘するところなり」といっている。
 宗祇と実隆との歌道の因縁上述のごとくであるからして、その往来も頻繁に単に文学上の交際のみに限らなかった。宗祇は文明十七年に闕本ながら古本ではありかつ美麗な『万葉集』十四冊をば、実隆に送り、そのほか定家卿色紙形一枚を送り、また宗祇が香道の名人で、自身調合にも巧みであったから、種々なる薫物を送り、あるいは養性のためにせよとて蒲穂子を贈り、筆の材料にとて兎毛を贈り、唐墨を贈り、旅から帰ると、旅先の名物と称せらるる器物や食物や反物などを土産とし、しからざれば一壺の酒|一緡《いちびん》の青※[#「虫+夫」、第4水準2−87−36]をもって土産として、ある時は三条西家の青侍等の衣服にとて帷《かたびら》三を贈ったこともあった。実隆眼病になやむと聞きて、目薬を贈ったこともあった。実隆の方でもまた宗祇に対して一方ならぬ懇情を運んだ。秘蔵の『神皇正統記』をも、望むに任せて宗祇に与えた。宗祇の依頼に応じて、彼の連歌集なる『老葉《わくらば》』を清書してやった。同じく[#「同じく」は底本では「国じく」]依頼によって「桐壺」の巻を書写せる際などは、その出来上らんとした日に、禁裏から召されたけれども、実隆は所労を申し立てて不参し、もって書写の功を終えたのである。その他宗祇のために、あるいは『源氏』五十四帖の外題《げだい》を認め、『新古今』、『後拾遺』、『伊勢物語』等の銘を書し、またしばしば扇面に書し与えた。扇面は、時として実隆の方から旅行の餞別に出したこともあるが、多くは宗祇の所望によったものである。中には大晦日に頼まれて、即座に書いてやったこともある。色紙を三十六枚所望されてこれを書いたこともある。かくいえば頼む方もずいぶん無遠慮なやり方と称すべきで、書いてもらった扇子や色紙を、宗祇の方でいかに処分したかというに、無論自分の翫賞のためのみではなく、人に頼まれた分もあろうし、また中にはそれでもって宗祇が自分の義理をすませたことも多かろう。大晦日に頼みに来た節などは、さすがに実隆も不平であったと見えて、その日記に「※[#「總のつくり」、「怱」の正字、399−上−19]劇中の無心といえども、染筆してこれを遣わす」といって頼むままに扇三本に書いてやった。
 
前へ 次へ
全72ページ中65ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
原 勝郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング