徴の一面を代表するものである。論者の中には此時代の文物を一括し、禪の一端を以て之を擧ぐるものがある。これは一理ある説で、榮西によつて興つた禪宗は、既に鎌倉時代に於て宮廷にも入り、又數多の武將の歸依をも博したけれど、要するに禪宗の鎌倉時代に於ける活動は、地位あり文字ある少數者の修養に影響したに過ぎぬので、禪宗と一般文明との關係は、鎌倉時代に於ては、未だ密接だとは云ひ難い、禪宗が一般文物に浸潤したのは、足利時代に至りて始めて認めらるべき現象である。換言すれば所謂禪味なるものは、足利時代に於て始めて顯著なるものである。されば此點からして論ずる時は、禪が足利時代の代表であるとも云ふ事が出來る。或る論者はまた茶の湯の一端を以て東山時代の文明を括擧し得るものだと云ふ。これも亦尤な説で、茶の湯こそは鎌倉時代及び其以前には無く、全く足利時代に始まつたものである。然れども若し足利時代の自暴自棄に陷りて居るさまを表示するに、最も適當なものを求むるならば、それは連歌に越すものはない。連歌は其淵源甚古くして、決して足利時代に始まつたものではないけれど、足利時代以前の連歌と云ふものは、上句と下句と合して、渾然た
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