春であつて、明かに眞の春と異る所がある。要するに吾人は足利時代の文物に對して不安の念を懷くのを禁ずることが出來ないのである。
 次に吾人は色に譬へて足利藤原の兩時代を比較して見やうと思ふ。松の緑の間に朱の鳥居といふ取り合はせは、奈良や京都に多く見る所の景色であつて、吾人は之に對する毎に藤原時代を追想せざるを得ない。倭繪の主色である所の緑と朱とが、藤原時代の代表的色彩であるとすれば、足利時代は銀色である。藤原時代が緑朱二色の中で、主として孰れに傾いて居るかは、一寸決し難い問題であるのみならず、簡單な色に配して、以て複雜なる時代の特徴を表示し盡くすことは、抑も無理な注文かも知れぬが、然かし足利時代は慥かに銀色である。而かも※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]びた銀色であることは、動かし難い評であると信ずる。足利時代のすべての事物は、皆此銀地を土臺として、其上に畫かれて居るのであつて、彼の多年江湖に落莫し、朝倉家に投ぜむとして、琵琶湖を渡れる義昭將軍が詠じたと云ふ、蘆花淺水秋なる句は、實に此銀色を遺憾なく發揮して、足利文物の總まくりをなしたものと云つて差支ない。
 連歌も亦足利時代の特
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