る一首の歌を成すものであるに反し、足利時代に盛を極めた連歌は、上句と下句との間に少しのヒッカヽリがあるのみで、意味の完全なる連絡とては見出し難く、要するに際どい機智の運用を貴としとするのみである。而して連歌に「て」の字を以て結べるものゝ多いのは、これ即ちウッチャリの氣象を自ら發露したもので換言すれば自暴自棄を表示するものである、絶望を語るものである。若し吾人の説を疑ふ人があるならば、試に連歌の集を繙いて見るがよい。必ず吾人と所感を同くするに違ひない。さてまた宗祗其他の連歌師が、田舍の風流氣ある大小名の招きに應じて、遍歴に暇なかつたのは、彼の歌枕をさぐりに出たと云ふ藤原時代の歌人と大に其趣を異にして、文藝の行商人たる點に於ては、歐洲の中世にあつたと云ふ、ミンネゼンゲルやトルバドールに類似して居るけれど、我國に於て適切に此西歐の漫遊藝術家に相當するものは、足利時代の連歌師よりも寧ろ平泉の秀衡若くは鎌倉將軍の幕庭に收容された歌人又は伶人の徒である。足利時代の連歌師は、ミンネゼンゲルやトルバドールに比べて、權威が少い、熱がない、温みが乏しい。澁いと同時に甚淋びしいものである。ワルトブルグの歌ひ
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