時代ではない。足利時代の研究の久しく捗らなかつたのは、其原因は他に存するではなく、唯研究を怠つて居つたからである。
然るに近年になつて、此史學上久しく荒蕪地となつて居つた足利時代に、耒耜を施すものが次第にあらはれて來たことは、吾人の大に愉快とする所である。雜誌「歴史地理」に掲げられた堺港につきての三浦博士の論文の如きは、該時代研究中の最も出色のものである。尚ほ本年四月下旬東京に催されたる史學會の大會に於て、同博士の足利時代の外交論の外に、笹川文學士の東山時代につきての講演のあつたことは、これ我國の有力なる史家の努力が既に大に足利時代に傾注さるゝに至つたことを明に示すもので、吾人が今更該時代研究の必要を爰に呶々するのは、少しく時機に後れたる趣があるけれど、尚少しく所感を述べて蛇足を添へやうと思ふ。
或る意味から云へば、足利時代は藤原時代の再現とも見られる。藤原時代に出來た歌集、物語の類、殊に源氏が、惟り足利時代の縉紳にもてはやされたのみならず、武家及び其被官、家來、さては其また陪臣に至るまで、非常に盛な好尚を以て、此等の古文學に耽溺した。主を尅し、骨肉を屠つた人々の中にも優艶なる詞藻
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