る一首の歌を成すものであるに反し、足利時代に盛を極めた連歌は、上句と下句との間に少しのヒッカヽリがあるのみで、意味の完全なる連絡とては見出し難く、要するに際どい機智の運用を貴としとするのみである。而して連歌に「て」の字を以て結べるものゝ多いのは、これ即ちウッチャリの氣象を自ら發露したもので換言すれば自暴自棄を表示するものである、絶望を語るものである。若し吾人の説を疑ふ人があるならば、試に連歌の集を繙いて見るがよい。必ず吾人と所感を同くするに違ひない。さてまた宗祗其他の連歌師が、田舍の風流氣ある大小名の招きに應じて、遍歴に暇なかつたのは、彼の歌枕をさぐりに出たと云ふ藤原時代の歌人と大に其趣を異にして、文藝の行商人たる點に於ては、歐洲の中世にあつたと云ふ、ミンネゼンゲルやトルバドールに類似して居るけれど、我國に於て適切に此西歐の漫遊藝術家に相當するものは、足利時代の連歌師よりも寧ろ平泉の秀衡若くは鎌倉將軍の幕庭に收容された歌人又は伶人の徒である。足利時代の連歌師は、ミンネゼンゲルやトルバドールに比べて、權威が少い、熱がない、温みが乏しい。澁いと同時に甚淋びしいものである。ワルトブルグの歌ひ戰の如きは到底彼等連歌師に望み得べきものではなかつた。
さりながら銹びたりと雖銀色なる足利時代には、淋びしげなる光りがある。散文的な實際的な鎌倉時代とは少からぬ相違がある。此點に於て足利時代は歐洲第十八世紀に於けるロココ式の文物に似たとも云へるだらうと思ふ。散文的な十七世紀に比べたならば、次の十八世紀は光澤に於て大に優る所のものがある。それと同じく足利時代は、之を鎌倉時代に比して、新鮮な活力を有する點に於てこそいくらか遜色があるけれども、而かも鎌倉時代に缺乏して居る光澤といふものがある。デカダンと云へばそれまでゞあるが、光澤はやはり光澤である。然らば如何なる種類の光澤かと云ふ問が起らうが、適切な例は能衣裳である。能衣裳の今日傳はつて居るものゝ中には、無論徳川時代の意匠に成れるものも混じて居やうが、大體に於ては吾人は之を足利時代の意匠だと思ふ。而して此能衣裳ほど適切に足利時代の好尚を表露したものはない。とり分けて微かに金絲を文どつた能衣裳に對して此感が最も深いのである。斯かる能衣裳を着けて居りさへすれば、極めて現代的な能役者に舞はせても、それでもなほ四條の河原能の光景を想ひ浮べることが
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