のあつた輩も少くない。能狂言に於て古の風流兒在原業平が、歌舞音曲の化神として現はれたのを見る毎に、吾人は數百年を隔てたる此兩時代の間に、案外に深き關係のあることを考へるのを禁ずることが出來ぬ。されば本邦人文史上に於て、足利時代を以て藤原時代に對し、之をルネッサンスと見立てるのも、必しも全く謬見ではあるまい。
 勿論足利時代は足利時代であつて、藤原時代をその儘に再現したものでないのは、丁度歐羅巴のルネッサンスが、決して古代希臘をその儘復活さしたのでないと同じことである。歴史は繰り返へすと云ふ格言は、一面の眞理を含んで居らぬではないけれど其繰り返へすと云ふ意味は、彼の走馬燈が一回轉を了へて、以前の位置に戻つたのと同樣なのではない。ロレンツォ・デ・メヂチが、カレッジの別墅に文士を集めて清談を試みたと云ふ夜遊は、プラトンがアカデミアの昔を忍んだのであるといふけれど、單に人相同じからざるのみにあらで、其の山河もちがふ。よしそれをば眼中に措かぬことが出來るとしても、如何とも致し方のないのは背景となる時代の相違である。此繰り返へすが如くにして必しも繰り返へさず、繰り返へさぬやうに見えて、而かも繰り返へす所、即ちこれ歴史の興味が眞に存する所である。
 享樂主義が支配した點に於て、足利時代は猶ほ藤原時代の如くである。而して若し淫靡といふことが享樂の流弊であるならば、此點も亦兩時代に共通のものである。源語其他の古文學を讀みて猥褻だと感ずる者は、足利時代にもてはやされたお伽話を見て其甚しく露骨なるに驚かぬ筈はない。然れども同じくこれ享樂主義であるとは云ひながら、足利時代と藤原時代との間には、大なる差別がある。若し藤原時代の享樂を以て、苦勞を知らぬ千金の子の道樂に喩へることが出來るならば、足利時代の方は燒ヶ腹の道樂である。燒ヶ腹の道樂と評するのが、餘りに時代を自覺させ過ぎて居るといふ嫌ひがあるならば、更に之を盜賊や詐僞師が刹那の不義の快樂を貪りつゝ而かも戰々兢々として居るのに喩へてもよろしい。否此方が却りて適切かも知れぬ、櫻かざして日※[#「日/咎」、第3水準1−85−32]の永きを喞てる者と、戰陣の門出でに隻脚の草鞋をしめ殘して連歌をやる者とは、決して同日に論すべきものではない。藤原時代を春とすれば、足利時代は小春である。小春の暖かさに催されて返へり咲きをする櫻があつても、小春はやはり小
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