四日、 二月 四日、 三月 六日、 四月 三日、
五月 八日、 六月 七日、 七月 六日、 八月 六日、
九月 五日、 十月 十日、十一月 八日、十二月 八日、
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合計  八十五日[#「八十五日」はママ]
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 三ヶ年一千有餘日の中に就きて日記に上ぼれるもの僅々百九十日に過きず、如何に平穩無事なりとても、餘りに簡略に過ぐるなり、蹴鞠和歌の諸會のみならず天體の日常の變化其他鎌倉市中の些事に至るまで輯録するを厭はざる吾妻鏡としては、余は是等過度の簡略に關して日記として正當なる辯解を有せざるなり、殊に建仁元年四五月の交は越後に城資盛の叛ありて鎌倉よりは討手として佐々木盛綱を遣はせるなど、中々の騷動なりしに、當時の記事の寂莫此の如し、これ豈格例ある官府の日記の資格を具備するとのならむや
 又建長二年十二月廿九日の條に
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所謂新造閑院殿遷幸之時、瀧口衆事自關東可被催進之旨、所被仰下也、仍日來有沙汰、任寛喜二年閏正月之例、各可進子息由、召仰可然之氏族等、但彼時人數記不分明之間、被尋出所給御教書、就其跡等、今日被仰付之處云々
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