法則などは述べようとはせぬ。われ等の期するところは、より清く高き空気を呼吸し、より浄く、聖なる宗教を鼓吹し、より純なる神の観念を伝えることである。要するにわれ等は、飽まで不可知を不可知とし、苟且《かりそめ》にも憶測を以《もっ》て知識にかえたり、人間的妄想を以《もっ》て、絶対神を包んだりしないのである。われ等の歩まんとする道は、臆測よりは寧《むし》ろ実行、信仰よりは寧《むし》ろ実験である。われ等はこれが智慧により、神によりて導かるるところの、正しき道であると信ずる。思うに我等の教は懐疑者によりて冷視せられ、無智者によりて罵られ、又頑冥者流によりて異端視されるであろう。しかし乍《なが》ら真の求道者は、われ等の教によりて手がかりを獲、真の信仰者はわれ等の教によりて幸福と、進歩との鍵を掴み、そして縦令《たとえ》千歳の後に至るとも、この教の覆ることは絶対にないと信ずる。何となればわれ等の教は、飽くまでも合理的の推理と、合法的の試験とに堪《た》えるからである。
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(評釈) 神霊主義の真髄は、ほぼ遺憾《いかん》なくここに尽されている。現世と死後の世界がつながりであること、両者が
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